愛犬のもんすけが15歳の誕生日を前にお空に旅立ちました。
(亡くなってから収骨するまでのことを書いていますので、先をお読みいただける場合には、そのつもりでお読みください。)
もんすけの誕生日は12月25日。
12月上旬のもんすけが、15歳の誕生日を前にわが家からいなくなってしまうとは想像もしていませんでした。
お昼寝をしている時間が長くなり、定期的に獣医さんのところへ通っていたけれど、お家の中では元気そうに過ごしていたもんすけ。
様子が変わり始めたのは12月中旬ごろ。
年内最後に獣医さんのところへ連れて行くときには、この先のことを相談した方がいいかもしれないと、主人と話し始めていました。
それでも、お誕生日もお正月も、一緒に迎えられると思っていた矢先の突然の旅立ち。
今年2月にひどく体調を崩したとき、一緒に過ごせる最後の季節を覚悟して、一日一日を、これが最後の夏かもしれない、これが最後の秋かもしれないと、そう思いながら過ごしてきたけれど、その時は唐突に訪れて、覚悟も空しく泣き崩れてしまいました。
もんすけが腕の中で息を引き取った後、もんすけを抱いたまま自宅にいなかった主人に連絡。
話をして冷静さを取り戻してから、もんすけが着ていた服を脱がせ、お散歩の後に使っていたいつものウェットティッシュで全身を綺麗に拭いて、新しいお洋服に着替えさせ、いつものベッドのクッションの上に大きな保冷剤を置き、ブランケットを敷き、洗い立てのコットンブランケットを敷いて、いつも通りの可愛らしい寝姿になるようにもんすけを寝かせました。
人と話せるくらいになるまで落ち着いてから、主治医の先生に電話で連絡をして、最期の様子を伝え、そのあとのことを相談。
患者さんから良かったと聞いたというペットの葬儀屋さんを教えていただき、葬儀屋さんに連絡。
家族と相談してから日程を決めるつもりだと伝えたうえで、火葬は翌々日くらいにしたいと伝えたところ、ドライアイスでの処置方法と、販売店を教えてくださいました。
ドライアイスの手配と火葬の予約、やるべきことを考えることで冷静さを保っていたつもりでしたが、みっともないくらいに泣きながらの最後の準備。
もんすけの旅立ちの日は雲一つない青空の晴天でした。
いつも一緒にベッドにいた二匹のぬいぐるみと、1歳の誕生日のときから毎年クリスマスにかぶっていたサンタ帽、たくさんのオヤツ、葬儀屋さんが準備してくれていた六文銭と守り刀をしっかり持って、最後まで本当に可愛らしいお顔のまま旅立っていきました。
冷たく冷え切ったもんすけと過ごした一日はとてもとても悲しかったけれど、お空に旅立つ前に心の準備をする時間を持てたこと、亡くなったときのままのほんとうに綺麗で可愛らしい姿のまま見送ることができたのは本当に良かったと思っています。
真っ白く、小さなお骨を丁寧に並べていただいて、しっぽの先から、鼻先まで丁寧に説明していただいてから、ひとつひとつ手に取って骨壺に収め、立派な骨袋に入れていただきました。
生前2kgほどだったもんすけは3寸の小さな骨壺に収まり、白い骨袋に。
12月25日のもんすけの誕生日までそのままクリスマスツリーの横に置き、もんすけの思い出をいっぱい話し、もんすけの動画を見ながら、15歳の誕生日を祝いました。
泣くのはその日までと決めて、我慢せず、いっぱい泣きました。
泣いて泣いて泣いて、もういいだろうって思えるくらいに泣いてもやっぱり涙が出てきて、もんすけのことで悲しむのは15歳の誕生日までと決めて泣きつくしました。
そして、12月26日。
もんすけの骨壺にぴったりのカバーを作りました。
小さくて白い骨になっても、もんすけのものにはやっぱり可愛くあってほしい。
もんすけはお空に旅立ったけれど、もんすけが遺していったものは大切にしたい。
もんすけが使っていたもの、もんすけが最後に過ごしていたリビングは、もう少しこのままにしておきます。
もんすけがいなくなる前に飾ったお正月飾りは片付け、クリスマスツリーはまだ片付けていません。
もんすけは犬であり、ペットであるけれど、わたしたち夫婦のかけがえのない家族だから、年末年始は特別なことをせず、静かに心穏やかに過ごしたいと思っています。
来年の松の内が明けるころまでに、ひとつひとつ、心とお家を整えて、ゆっくりと次へ進む準備をしようと思います。
コメント
こんばんは。
三太ママです。
三太が旅立って7年経ちます。
やっと泣かずに仏壇に手を合わせることができるように
なりました。
が、今でも命日・誕生日には楽しかった思い出がよみがえり涙があふれます。
wacoさんも、まだまだ涙が出る日があると思います。いっぱい泣いてください。
それで良いと思います。
もんすけクンと三太はクリスマス&誕生日を楽しく過ごしたと思います。
きっと三太は虹の橋で、先輩ぶってもんすけクンを案内しているのでは?(笑)
三太ママさん
三太くんが案内してくれているならば安心です!
もんすけがいなくなって感じるのは、自分自身の一部が無くなってしまったような、これまでに経験したこともなく、ぴったり合う表現が見つからない不思議な喪失感です。
それも含めてもんすけがわたしに教えてくれたこと、残してくれたことなのだと思います。
姿がなくなっても、無意識に時間帯ごとにもんすけがいそうな場所に視線が向いて、そこにいないことに気付きます。
この感情の本当の意味を理解するのはまだ先のことかもしれませんが、いつかまたもんすけに会えたときに、楽しく一緒にお散歩できるよう、健やかに過ごしていきたいと思ってます。
大切な家族の思い出を教えてくださってありがとうございます。